朝も夜も1日中パチスロに夢中になっていたあの頃(スロプー時代ともいう)と比べると、めっきり打つ頻度も打つ態度も変わってしまったので、パチスロブログに書くネタもそれほど無いのだけど、年を取っただけあって思い出話を語ることも増えたので思い出したら書いてみる。
あの頃は、仕事よりもパチスロのほうが安定して勝てていた記憶があったし、負けにくかった印象がある。もっとも、出るか、出ないか、といえば今ほど跳ねるわけでもなく、4号機時代と比べても言わずもがなである。せいぜい1,000枚~1,500枚を目標に打っていた感じ。
あ、私が打ち始めたのは2007年頃だったかと思う。
たしか初めて打ったのは、
この辺かな。HDという名のSSDドライブを探しても、さすがに当時の写真は残っていないけど、やっぱりタイプライター演出やリーチ目は写真に残していた記憶がある。
機動警察パトレイバーは、今は亡きアビリットが発売したA+RTで透過液晶の台。チャンス目だったか、チャンスリプでミニRTに入り、ボーナスの当選を告知だったかなあ。技術介入で若干のボーナス獲得枚数が変わる仕様で、世間的にはクソ台扱いなのだけど、ほぼ初めて打った台だったので個人的には思い入れが深い。パトレイバー、原作好きだったし。
なので、この数年後に三洋からパチンコやスロットが発売された時も、まあまあ上がったし、特にパチンコは相性が良く、おかげで婚前旅行に来ていたいとこにうまいものを食べさせることができた。
発売元のアビリットは、縁浅からぬ土地に本社があったということもあり、この台以降も個人的には応援していて、アビリット→スパイキーと流れていっても、おおよそ必ず打っていた記憶。相性もまあまあだったかなあ。鬼浜以外は。笑。
「俺の名はルパン三世」は、パトレイバーよりも稼働期間が長くて、ある法則があったので安定して稼がせてもらった機種だ。懐かしいねえ。それほどリーチ目が美しい台ではないのだけど、ベルハズレリーチ目や、7テンリプハズレリーチ目は、単純でパチスロを打ち始めたばかりの自分にはちょうどよかった。
設定6の機械割もたかがしれていたからか、中間設定~で店が遊ばせてくれていた記憶があり、特に設定3、4あたりは、リセットされるとそれほど投資がかさまないうちにボーナスが数発当たることが多かった。1000枚~1500枚程度分のボーナスが当たると、突然クソハマりを繰り出してくるので、「6なんてないだろ」という店で朝から1000枚を目標に打つと、よかったね。
まあ、なんの理屈もないし裏付けもないのだけど、その立ち回りでそこそこ安定して遊べていたので、何かしらの理屈はあったのだろう。
ポリゴンはクソだった(当時では頑張っていた)けど、スーパーBIGのあとの100GのRTが良かったし、そこでさらにスーパーBIGを引くと、不二子RTが選べる、などの要素も良かった。
レバオンでのタイプライター演出が気持ちよかったのは、全面ドーナツ液晶だったせいだろう。また、画面チェンジで画面暗転する頻度も絡み合っていたのかも。あとにもさきにも、あの気持ちいいタイプライター演出は無い。
HEIWAにとってルパンはドル箱版権だったようで、2024年の今に至るまで2年に1作位の頻度のもと新作が発表されている。いまティザーPVが流れてくるスマスロの新台もベルの形を見るとルパンなのだろう。
ここ最近では、スマスロ銭形がまあまあ面白かったが、跳ねさせるまでに金がかかりすぎるので、さすがに低貸しでしか打てませんってば。